「ビルコレさん、新色のニンテンドーDS Lite欲しい!」
欲しいに決まってるなぁ。本体持ってないくせにFINAL FANTASY IIIがやりたいもんだから、会社の同僚と共同出資でFF3を買ってしまった。同僚がクリアしたあとに、本体ごと借りる条件で。
しかし、あれほどやったTVゲームを今はほとんどしないのだから、人間の趣味というのはどんどん変化するのだなと感じる。いや、飽きただけか。
PCの名前決めで悩む
サーバの命名についての質問に、id:spiritlooseさんがサーバのマシン名の話で反応していたので、自宅のマシン名も書いてみる。といっても使っているPCは3台しかないけれど。
まず、外から見れるようにしているメインのLinuxサーバは「bigcore」。これはグラディウスのボスキャラから拝借させて頂いた。外から見れるので、強い奴じゃないとと思って付けた。
次にバックアップ用のファイルサーバ(Windows)は「axis」。こいつは多くの収容が可能なようにと思って、ガンダムに登場するアクシズから頂いた。
最後にメインクライアントのノートPCだけど、これにまだ名前を付けれていない。ホスト名がないとやり難いので便宜上「NOTE」にしてる。
まつもとさんの「名前重要」ではないけれど、どうも名前を付けるのには拘ってしまうみたいだ。さて、ノートPCの名前は何にするか。
人数と成果
boss blog – マンパワー
開発の世界では「人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3))」が有名だけど、その他の書籍や数多くのブログで言及されているので、人という単位に掛け算が通用しないこと(費用の計算はできるけれど、効果というか作業はついてこないので)は、もはや常識になっても良い気がする。
人数という要素は作業内容に密接に関係していると思う。極端な例で言えば、一つの曲を作曲するのに数百人の人員をアサインしても、完成するまでに会議ばかりしてしまうことになるだろう。
「少数の方が巧くいく」ということは結構あるように感じるけれど、期待した時期までに達成できないとわかると「人が足りないんでしょ?」といって人員を増やそうとする人がいる。その度にどういう算段で出来るようになると思って言っているのか不思議に感じる。
この手のことを出来るだけ正確に判断できるようになるには、末端の作業を知ることだと思っている。自分はプログラムが書けない(書けないというか、どういうものか知らない)SEが信じられないのだけど、自分の指示で動いてくれる人がどのような行動を行うのかを知れば知るほど、より正確な見積もりが可能になるのではないかと思う。
平日昼間サービスが腹立たしい理由
[生活] 平日昼間しか提供されないサービス問題
多くの人が悩ましく思っていることだろうし、自分もまたその一人。「サービス業なのだから土日祝も対応しろ」というのと「郵送などの別の手段を用意しろ」というのが一般的な文句かと思われる。公的機関がこのような対応をしてくれれば解決することも多いけれど、大きな体制変更になるだろうから現実的には大変そうだ。
そこで、「公的手続休暇」という制度があれば、会社員系の人はありがたいのではないかと思った。役所はタイムカードみたいなものを設置するだけで済む。でも、これだと会社が役所手続き時間の労働対価を支払うという変なことになってしまう。かといって、時間分を有給から削るのであれば、最初から有給使うよって話で意味がない。
コアタイムの変更が可能というのは需要があるかもしれない。9:00〜18:00の人なら12:00〜21:00や7:00〜16:00に変更可能とか。時間をずらせない業種だとアウトだけど、少なくとも自分は嬉しいかな。はてなの休日選びに近い。
でも、よくよく考えてみると、有給取って手続きに行っても、休日に手続きに行っても、自分の割く時間は同じ(寄り道にお買い物ができるとかを抜きにすれば)。有給使えば、休日の自分の時間が増えるのだから、結局プラスマイナスゼロに感じなくもない。
だから、最初にあげた2つの文句の根底にあるのは、「自分の予定に使うはずの有給を公的手続き等で消化するのは腹立たしい!」というのと「実際には有給なんて使えないんだよ!!」という点かもしれないと感じた。
「若冲と江戸絵画」展を観に行った感想
「若冲と江戸絵画」展ペアチケットに当たった!で当たったチケットにて大阪から来ていた友人とプライス・コレクションを観に行った。
宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」のPVで使われた「樹花鳥獣図屏風」が有名だけど、この絵は方眼用紙のような升目に絵が描かれていることが特徴。ただ、世間で評価されているような価値を自分では見出すことができなかった。理由は升目こそ描かれているけれど、升目に沿って配色されている部分はごく僅かだったからだ。
ファミリーコンピュータ全盛期を経験した私としては、16×16のドットで多くのキャラクターを表現したデザイナーたちの方が魅力的に感じてしまう。升目の問題ではなく、絵そのものが素晴らしいというなら世間の評価の仕方がおかしく感じるし、升目に描かれることで相乗効果がとか言い出すともう解らない。勿論、自分の芸術性のなさは棚に上げているわけだけど。
音楽に比べると絵を観る機会は圧倒的に少ないので、もう少し自分の目を肥やしたいとは思う。
編曲の重要性
- アーティスト: オール・ジャパン交響楽団
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 1991/03/05
- メディア: CD
- クリック: 8回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
明らかにジャケ買い。ってなぜAmazonには画像がないのだ。ということで、画像の確認はJBOOKにて。
オリジナルを観た人がオリジナルサウンドトラックを聴くと、そのまま過ぎてすぐにアニメシーンを彷彿させてしまうけれど、こういう別アプローチなものはゆったりとその世界観に浸れるので素晴らしい。
最近のアレンジといえば、すぐにダンスバージョンやロックバージョンといった極端なジャンル変更を行うことが多いけれど、表現方法を変化させるという点を振り返れば、本作のように元がオーケストラ(厳密にはオーバーダブかもしれないが)のものをオーケストラで書き直す行為も至極自然だろう。そう、旋律重視のアレンジなのだ。
メロディーとコードだけでも良いと感じる曲はたくさんあるけれど、編曲次第で勇敢にも物悲しくも聴こえるものなのだから、音色を変えたりテンポを変えたりすることだけを基準にしたアレンジは本筋と考えない方が良いように思う。
甲子園で演奏すると著作権侵害になるのか
今、実家で甲子園をみていると、日大山形の攻撃のときにドラクエIIIの戦闘曲がかかった。センスいいなぁ。でも、話題的にはFINAL FANTASY IIIの方がいいかなとか思ったり。
ウクレレ記法の楽譜は著作権侵害になるのかの続編というわけではないけれど、学校がJASRACに著作権料を支払っているかどうかが少し気になってしまった。いや、ひょっとすると主催団体で一括管理してたりするのかな。
基本的に著作権切れでない曲は演奏自体(個人で楽しむとか以外)がアウトだった気がするので、そういう観点からすると甲子園の演奏もアウトだろうか。しかし、この手の演奏にまつわるものは検挙しだすとキリがなさそう。大学生のライブなんて、ほとんどが他人の楽曲だから全てアウトだろう。小さなピアノ教室で発表会をやったとしても、クラシック以外(エレクトーンとかだと最近の曲を演奏することは多い)は著作権違反になる可能性が高い。
国が軽自動車は税金が安いとして普及しようとするように、クラシックも著作権料フリーをメリットに広めるといいかもしれない。民謡とか民族音楽とかも著作権フリーかな。いや、もちろん皮肉だけれども。
「Web2.0でビジネスが変わる」を読んで
- 作者: 神田敏晶
- 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
- 発売日: 2006/06/16
- メディア: 新書
- クリック: 18回
- この商品を含むブログ (94件) を見る
途中で別の本を読んでいたりしたので時間がかかってしまったけれど、ようやく読了。
ウェブ進化論に比べて、より具体的なケースをもとにビジネス中心のWeb2.0について展開している。インターネットが流行って媒体が変わっただけということではなく、ビジネスモデルの前提が変化したという点がよく描かれていると思う。
大型スーパーマーケットの出現で小さな店の閉店に追い込まれた地域は多くあるだろう。インターネットは、まさに大型スーパーマーケットのように他を圧倒する存在なのだ。現在、大企業であるかどうかなどは全く関係ない。採算が合わなければ、大企業とて縮小せざるを得ないだろう。
あと、本書では事実を歪曲して大げさに言おうという発想がなく書かれているので好感を持てる。かなり自然体の記者がみたWeb2.0という印象だ。
「人に迷惑をかけなければ良い」は難しい
世の人は「人に迷惑をかけなければ良い」と言う。自分もそうだと思うし、そういう人間になりたいと思う。でも難しすぎる。
別に空気を吸ったら環境破壊みたいなマクロな話をしたい訳ではなくて、ほとんどの日常的なアクションが何かしらの迷惑要因になりかねないと感じるからだ。出来るだけ迷惑にならないようにが精一杯だ。
そもそも迷惑の意味が違うのだろう。
「人に迷惑をかけなければ良い」と声を大にして言う人は、「人に経済的損害を被らせなければ良い」と言い換えられる人ではないだろうか。私にとっての迷惑は当然心情的なものも含まれている。だから、自分が当事者でなくても近くで喧嘩をされれば迷惑なのだ。