30歳を通過して感じること

31歳になった。30歳になったときにどんなことをブログに書いたのだろうと検索してみたら何も書いていなかった。このブログで過去誕生日に書いたのは次の二つだった。

2007年の分はなんだかそれっぽいにしても2006年のは何も誕生日に書かなくてもと思わずにはいられない。

31というのはどうもキリが良くないと思いながらも、今年結婚したことだし少し色々と書いてみようと思う。少しなのに色々とはどういうことだろう。少しのことが色々あるのか、色々あるのを少しだけなのか、酔っぱらいの書くことはよくわからない。恐らくダラダラと長くは書かないということが言いたいのだと思う。

最近、技術書らしい技術書を読み始めて久しぶりに新たな技能を得ることの喜びを体感しているところだけれども、ここ1年くらい僕は技術的に全く進歩していなかったと思う。技術的にというのはプログラマとしての能力のこと。現実の仕事内容の影響も大きいけれども、正直言えば少し興味を失っていたのもある。

興味を持ち難くなった理由をいくつか詮索してみたところ、思い当たるのはプログラムに自分の創作を入れることが難しくなっていったことだった。ここで言う創作は自分の考えた企画を実装したいということではなくて、あくまでもプログラムコード上での話。自分自身によるデザイン(設計)、クラス、メソッド、大規模なリファクタリング、そうしたものがコスト対パフォーマンスを考えれば考えるほど難しくなり、どんどん創作ではなく作業に近くなってしまったのではないかと思う。

念のため書いておくと、これは仕事環境が悪いということではなくて、僕自身の指向性が悪かったということ。仕事は趣味でないので、ほとんどのことが自分の思い通りの反対であっても不思議ではない。ただ、そういった中でも創作を入れようとして創作ポイントを見つけないと、ジリ貧というかプログラマ鬱病と言える状態になってしまう。

ゲームコーディング・コンプリート 一流になるためのゲームプログラミング (Professional game programming)

ゲームコーディング・コンプリート 一流になるためのゲームプログラミング (Professional game programming)

今、この本を読んでいて、どうやって実務に生かそうかと考えている。こういう思索は楽しい。どんな場面でも新しい知恵を入れようと努力しなければ成長はないのだろう。

誕生日っぽい話に戻すと、僕は30歳までに結婚したかったし英語ができるようになりたかった。それぞれ明確な理由はなくて、ぼんやりとそうなっていたいと妄想していた。そういう姿に憧れていたのだと思う。不思議なことに、一生共にしたい人が現れて30歳で結婚して(妄想に比べて1年遅れだが気にしない)、しかも今は業務で英語をほんの少しだけ使っている。

希望と現実が重なりそうなときに「今来た」と思って取り逃さないことが重要だと思う。それが一般的に言われるチャンスということなのだと思う。僕は今まで英語で会話した経験がなかった。大学受験のときに少しだけ良い点をとったことはあるけれども、到底まともな覚え方をしなかったので言語力という意味では恐らくほとんど無力だったと思う。受験のときはまるでパズルかのように取り組んでいたので。だから仕事で必要になりそうになって内心焦りながらもなんとしても未経験者の中では他を凌駕しようと思った。

過大評価してくれる人が多いものの、僕の英語力は「現地では非常に苦労が強いられ日本人向けに話してくれる人とは意思疎通できるレベル」と理解しているので、その程度の人の言うことは間違っても信用してはいけないからどうやって勉強したか詳しく書かないにしても、なんとしても英語を使う千載一遇のこの機会を利用したいと思って外国人を避けずにむしろ近寄って話しかけたりするようにした。避けないということが原始的ながら一番重要かもしれない。

さて、予想通りまとまりのない文章になったし、どこが色々なのか少しなのかも曖昧なままではあるけれども、兎にも角にも40代までにやっておきたいことも多いので、目の前の現実を大切にして過ごして行きたいと思う。