仕事の修羅場経験は自慢にはならない

若いからだろうけれども、先輩の武勇伝を飲み屋で聞く機会が多い。いつも何が凄いのだろうかと普通に考えてしまうのだけれども、話を聞く限りはとんでもなく凄いことをやってきたことになっているようだ。しかし、凄いことの内容は説明してくれない。どんなに大変だったのかということを一生懸命語っている。
本人達に言っても「若いから」と言って意見を聞かないだろうから、自戒の念も込めてここに書く。

人のことを書くのも嫌なので、自分のことを例にして書こう。

若造の文系プログラマだけれども、実は商品先物取引の営業をやっていた時期がある。登録外務員としての正社員だ。
電話でアポイントを取って次の日に訪問するのが会社での定例だった。商品先物取引の営業を辞めた後にアルバイトで電話営業をした経験があるから言うのだけれども、商品先物取引の会社での電話アポは本当に辛い。ガチャ切りや社名を言った瞬間に切られるというのは日常茶飯事。そんな中で嫌そうに相槌を打っている相手から訪問のアポを取るのが日常なのだ。
訪問はもっと辛い。居留守は勿論のこと、「電話で断りましたよ」とか言われることも多い。相手に会えるのがやっとのことで、会えても世間話が1・2分とかで終わってしまうことも多い。訪問毎に上司に電話報告する義務があるので、これまた辛い。昨日の電話でアポイントが取れていることになっているのだから、上記のような結果は許されるものではない。罵倒どころではない罵倒をされる。
電話のアポが不出来な場合は飛び込み営業で補うしかない。本人に補う気があるのかどうかは関係がない。「名刺20枚集めてから帰れ!」とかを深夜0時あたりで上司に言われたりするのだ。深夜に開いている店は少ないけれども、コンビニの店長や居酒屋の店長を目指して明かりのある方へと歩く。当然タクシーで帰ってもタクシー代が出るわけではない。
ノルマに達成できていない場合は、土日出勤も当たり前だ。朝の6時から深夜まで毎日働く。仕事が終わって寮に帰ったらご飯を食べてお風呂に入ってそのままベッドに入るけれども、ベッドに入った瞬間に目覚ましが鳴っているような錯覚に陥る。

さて、敢えて書こう。上に書いた話は実話ではあるけれども、決して凄くはないのだと。
凄い話なら「周りの人は苦しんでいたけれど、自分は他人の10倍くらい契約を取っていたから平気だったよ」というようなワンライナーで終わる話なのだ。
しかし、世間の人たちは、「こんな辛い状況下で“あれこれ”こなしていた」とか言う。“あれこれ”こなしたことが凄いならそれを話せば良いのに、なぜか重点は辛い状況のことばかりだ。つまり、“あれこれ”が大したことがないのだ。
仕事においては修羅場を潜ることが凄いことではないのだ。何を成し遂げたのかしかない世界なのだから。だから、修羅場経験を自慢気に語るのは自粛した方が良いと思う。

関連してだけれども、プロ意識という言葉が最近嫌いになった。世間的には「お金をもらって仕事をしているのだから、嫌でも辛くても仕事はしますよ」というような基準のようだ。それは雇われ人としての契約履行でしかないのだけれども、それがプロの定義なのだろうか。
言葉としてはそれで合っているのかもしれないけれども、どうも好きになれない。アマチュアと一線引くのであるならば、プロと言う以上はアマチュアの到達できないところに居て欲しい。それが自分にとってのプロの定義だ。スポーツの世界では大方そのようになっているような気がする。

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