アドリブを練習する

心に残るプレゼンは、必ずと言っていいほど事前に用意周到に準備されている
小野さんのエントリを読んで感じたこと。端的に言ってしまうなら「アドリブ」の意味が少し限定的ではないかと感じた。
音楽の例だと判り易いかなと思う。アドリブに変わるものに即興演奏とかインプロヴァイズというような言葉があるけれど、即興演奏は決して「練習されていないパフォーマンス」ではないだろうと思う。元エントリの言葉を拝借させて頂くならば「練習せずに本番に臨む劇団員」ということにはならないだろうと。
洗練されたインプロヴァイズには人を魅了させる(感動させる)力は十二分にあると思う。もちろん、構築美も素晴らしいので、段取りなどを用意周到にして練習することも感動的なパフォーマンス成し遂げる一つの方法だろうと思う。忘れてはいけないのは、その両方とも(アドリブも用意周到も)が「練習された成果物」だということだ。練習していないアドリブは当然存在するけれど、「練習されたアドリブ」という項目があっても良いのでは?と感じた。
しかし、こういってしまうと、アドリブ自体の練習をするべきなのか、用意周到に筋書きして、それを対象に練習するべきなのか、といった分岐に陥ってしまいそうだ。個人的な意見だけれども、例えばプレゼンにアドリブを入れる余地を作らないならば、アドリブの練習は必要ないと思う。逆に、用意周到にしないプレゼンを目指すなら、アドリブの練習をすべきだと思う。要は内容次第で要求される技術が違うだけではないかと思う。勿論、人間的な技術として捉えるならば両方できるに越したことはないのだろうけれど。
アドリブの練習とは何だろうか。これは場慣れとは少し違うと思う。プレゼンで言うならば、思い付いたキーワードを巧い言い回しで繋げたりできるのは、アドリブ技術だと思う。勿論、アドリブの内容を事前に用意周到に準備することは可能だけれど、聴衆の前に立ったときの良い意味での思い付きをオフィスで再現するのは環境的に難しいと思う。どんな練習方法が良いのかは判らないけれど、少なくとも訓練可能なジャンルだと思う。
と、ここまで書いておいてだけれども、プレゼンというジャンル的に、「用意周到」にしておく方が得策なことが多いと思うので、小野さんのエントリタイトルの「心に残るプレゼンは、必ずと言っていいほど事前に用意周到に準備されている」というのは、それはそうだろうなと同感したりする。

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