最初は「ギタースタンド買った」というタイトルを付けていたのだけれど、話が逸れ過ぎなので、書いてる途中でタイトルを変更してみた。
安い(確か690円くらい)ギタースタンドを使っていたところ、半年もしない内に金属部品が折れて使い物にならなくなってしまった。
100円ショップの工具なんかはこの類(ねじ回しとか平気で折れる)だけれど、強度の高い金属のコストはどれくらい違うものなのだろうかとふと思ってしまう。
正直スタンド自体に興味はそこまでなかったのだけど、置くギターが20万円くらいのものなのだから、少しはお金出せよということで買ってみた。
ヘッドの部分で挟み込むタイプなので、置くというより吊る感じになる。
ボディはこのように後ろから支えているだけの状態。掛けるだけなので、置くタイプのスタンドよりは楽に置ける。楽器屋さんで見たときに、「ネックにラッカー塗装を行っている場合は、ネックを挟み込むゴムとの間にタオルなどを巻いて使用することをお勧めします」というような注意書きがあったので、クロスを挟んでみた(ネック裏の塗装はないのだけれど)。
良い感じだ。買った製品はこれで、そんなに高価でもないのだけど、今まで使ってたものに比べるとかなり満足。
話は変わって、最近ギターを弾く頻度に比べてピアノを弾かなくなっているなと思い、久しぶりにいろいろ弾いてみた。
ピアノといっても賃貸に住んでいる身なので、電子ピアノでヘッドフォン。何となく撮った上の写真はドと一オクターブ上のレを打しているのだけど、日本人にしてはマシな手の大きさであるということにつくづくうれしく思う。自分がずっと習っていたピアノの先生の手はもっと小さかったのだから、相当努力(いや、苦労か)されたのだと思う。手が大きいから上手いということは決してないのだけれど、曲によっては大きなファクタになることがある。また、リストのような曲に限ったことではなくて、一般的に手の大きい方が有利だと思う。エレキギターな人にとっては、スティーブ・ヴァイとかポール・ギルバートのような手のサイズは反則じゃないのか?というのを想像すると良いかもしれない。
小さい頃は、みんなが外の公園で遊んでいるのに自分にはピアノの練習があるということが嫌で嫌で仕方がなかったけれど、結局今となってみると自分の財産になっているというのが事実。ギターは大学のときに結構練習したのだけど、これもピアノの背景がなかったら、全然上達のレベルが違ったのではないかと思う。
そういう訳で、楽器は自分の良き友だなとつくづく感じる。そして、同じような人生の友と言えば、お酒かなと思う。
今日もシンガポールのお土産で頂いたジョッキ(ありがとう!)を使って、エビスの黒ビールを飲んでいる。楽器弾いて、お酒飲んで、時折プログラムを書いて。ひょっとしたら、一般平均の楽しさ(多分そんなものは存在しないけれど)よりも、かなり上位の楽しさを感じて人生を送っているのかもしれないとまで思ってしまう。
趣味という言葉で表現すると少し限定的になってしまうけれど、自分の好きなこと、好きな人、ターゲットはモノでもコトでもヒトでも何でも良いので、とにかく好きなことに打ち込めるかどうかというのは、人生の楽しさにかなり影響することではないかと思う。
趣味だけが楽しい人生の要因では決してないけれど、少なくとも趣味は人生を楽しくするものだとは思う。そんな趣味の一つに楽器というものを授けてくれた親に感謝したい。